声。
笑い声。
少し呆れたような、でも優しい声。
微笑み。
照れたように、あるときは誇らしげに。
幾度となく私に向けられた微笑み。
これは夢だ。
眠りは、ときおり古い過去の思い出の中に・・・私を誘う。
それは暖かで鮮やかで、同時に冷たく色がない、ただの夢。
私はそれに微笑み、言葉を紡ぎ、手を伸ばして触れる。・・・抱きしめる。
そして必ず、失う。
「――――っ!!!」
飛び起きるとともに口をついて出たのは、
200年の眠りでも消すことのできなかった、ひとつの名前。
「・・・また・・・か・・・。」
汗で額に張り付いた髪を、ぞんざいにかきあげる。
傍らにある窓を見上げると、満月が少し欠けた月が、薄い雲の間から柔らかな光を放っていた。
どうやら、まだ朝には遠いらしい。
「・・・・・・。」
夢の内容は、いつもおぼろげで頼りない。
記憶がそうなることを望み、200年という長い年月を無意識の世界で過ごすことを選んだのは、
他でもない自分自身だというのに。
未練・・・なのだろうか。
たとえこの気持ちがそうであっても、時間があの場所へ戻ることなどないというのに。
なぜ、まだ。今更。
「・・・なんの用だ。」
部屋の中のわずかな気配が、自分の気のせいではないことを確信する。
ユーリの静かな声が、広い寝室に響いた。
「ひどいうなされようだったぜ。」
小さく足音を響かせながら、気配の主が近づいてくる。
窓の前で足は止まり、蒼い月の光が訪問者の顔の半分を照らし出した。
「なんの用だと聞いている。」
ユーリの不機嫌な視線は、奥の見えないサングラスに受け流されてしまう。
昼間とは違い、スラリと伸びた長い足を優雅に組んで、彼はベッドの傍らに合った椅子に腰掛けた。
黒を基調としたラフなスーツは、着ている者のスタイルの良さを否が応にも引き立たてる。
大人の姿になった神は、ベッドの上で座るユーリに微笑んだ。
「もちろん、この間の話の続きをしに。」
「・・・断ると言ったはずだ。」
「そんなににらむなよ。
お前、ちょっと前からスランプ気味だろ?いろんな意味で。」
「・・・・・・。」
いつもの、少しカン高い子供の声からは想像できないほどの、低くて落ち着いた声。
中身は同じはずなのに、こうも大人びた格好で話しかけられると、なんだか妙な気分になる。
首をかしげて視線を合わせてくるMZDから逃れるように、ユーリは眼をそらした。
「・・・お前には関係ない。」
いつも余裕たっぷりなユーリからはとても想像できない、小さくて弱々しい声音。
MZDは、小さくため息をついた。
「お前よ、見栄はる相手が違うんじゃねーのか?」
「ッ黙れ!!!」
うつむいたまま、ユーリは無理矢理絞り出すように声を上げた。
「お前に・・・お前に何が分かる!!どの面下げてこの私の前にいるつもりだ!!」
シーツを握り締めた白い手の甲に、血管が浮き出ている。
震えるユーリの細い肩を見つめがら、MZDは沈黙を守った。
「いつ私がこんなにも永い命が欲しいと望んだ!?
この忌々しい身体でさえなければ、あの時あれの元へ逝けたというのに!!!」
夜の静寂が壊れるのも構わず、ユーリはまくしたてた。
視界がにじみ、シーツを握る自分の手もよく見えない。
体の中を駆け巡る、行き場のない自分への怒りと、あの優しい微笑みの者への想い。
この世で一番大事だったのに。
この世で一番愛しかったのに。
「・・・ユーリ。」
「お前に私の名を呼ぶ資格などない!!」
言葉が終わるか終わらないうちに、MZDの手がユーリの襟元を掴んで引き上げた。
ユーリの一瞬のスキをつき、素早く右方向から手が飛んでくる。
「・・・っ!!」
かわしたり、防いだりする余裕はなかった。
反射的に眼を閉じると、ワンテンポ遅れて微妙な衝撃が額に感じられる。
「落ち着けよ、ユーリ。」
フェイントデコピンに呆然としている吸血鬼に、MZDの口が自然と笑みの形を作る。
同じ手で頭をポンポンと軽く叩かれ、ユーリはハッと我に帰った。
「・・・私は・・・。」
先ほど言った言葉と、気持ちを反すうする。
「・・・・・・すまない。」
「いいってことよ。たまには愚痴りたくなる時もあるさ。」
まだ少しうつむいているユーリの肩を軽く叩き、MZDは椅子に座りなおした。
ゆっくり、ユーリが顔を上げるのを待って、口を開く。
「・・・「Cry Out」を、もうひとつの側面から見てみたいんだ。」
「側面・・・?」
「なんつーか・・・もっとクールで、繊細な、儚いイメージがあるんだよな。」
「・・・・・・。」
「まぁぶっちゃけた話、俺から見たお前のイメージで作ってみたい。」
MZDの言葉に、ユーリは少しだけ目を見開いた。
「私の・・・イメージ・・・?」
「そうそう。自分じゃ自分がどういう風に見られてるのか分かんないだろ?」
「それはそうだが・・・」
「だから、俺が‘ユーリ’のイメージで作ってみる。
お前の過去のことや、苦しみとか悲しみとか・・・優しさとか。
Deuilじゃなくて、‘ユーリ’を表すような曲が作りたい。」
その顔から、いつもの笑いは消えていた。
ただ、じっと自分を見つめるMZDの眼が、サングラス越しに見える。
ああ、私は知っている。
この自由奔放で気ままな神が、本当は誰よりも傷ついていることを。
本当は誰よりも、この世界を思いやっていることを。
私の種族が背負う時間よりも、さらに永い時を過ごし、
またこれからも過ごしていかなければならないことを。
この地に生まれた全ての者たちの生と死を見守り、全ての記憶と感情を抱え、統べる神。
私が眠りの淵に捨ててきてしまったあの頃のことも、彼の中では鮮明な記憶なのだろう。
だが、どんな命も形も、彼の手の中には残らない。
私の元に、もう二度とあの命が帰って来ないのと同じように。
「・・・好きにしろ。」
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