それは僕たちを捕らえ
それは僕たちを解放する
僕たちはそれを憎み
僕たちはそれを抱きしめて離さない
それはただそこにあるのに
僕たちは無造作に道端へ投げ捨て
僕たちは息を切らし探し続ける
それは永遠に届かないもの
それは始めから手の中にあるもの
Shine Shower W
「ただいまっスー!」
「ただいま・・・」
お天気雨はすぐ上がった。
しばらくぼんやりと森を眺めていた2人だが、時計の針が12時を過ぎてるのに気づき、
急いで城へと帰ってきたのだ。
「オカエリ〜☆」
リビングのドアが開き、スマイルがひょっこり顔を出す。
「ギャンブラーソーセージとギャンブラーチョコ、買ってきたくれたー?」
「あ、はい。ちゃんと買ってきたっスよ。」
「やったァ!!!アッスくん大好きーvvv」
「はいはい・・・。」
まったく調子のいい言葉に、アッシュはため息をつきながら笑った。
「・・・・・・。」
ジャックはリビングを抜け、奥にあるキッチンに向かった。
買ってきた食べ物を、大きな冷蔵庫にせっせと入れていく。
野菜は真ん中の引き出し。冷凍の肉や魚は下の冷凍庫。
冷気がもやもやと出てくる中、以前アッシュに「生姜とニンニクは野菜だけど冷凍庫」と言われたのを思い出し、
あわてて野菜の引き出しから取り出して移動させた。
(あとは、みんな冷蔵庫・・・。)
冷蔵庫の取っ手までなら手がとどくが、中にある一番上の棚まで、と考えると、
ジャックの背ではとうてい足りない。
リビングから椅子を持ってこよう、とジャックがキッチンから顔を出すのと、
スマイルが悲痛な声をあげたのはほとんど同時だった。
「うわァァァん!!コレ、この前のと同じじゃんかーーー!!!」
「・・・はぁ?どうかしたっスか?」
「コレ見てヨ!!ギャンブラーチョコのおまけ!この前買ったのと同じじゃんかよー!!!!」
「はぁ・・・そりゃ、残念だったっスね・・・。」
「ンもう!!アッスくんてばクジ運ない!!クジ運ないアッスくんなんかキライ!!!」
「そんなこと言うんだったら、もうカレー作ってやんないっス。」
「ギャーごめん!!ウソウソ冗談!!アッスくん大好き!!愛してるヨーvv」
「アンタが大好きなのは、俺じゃなくてカレーでしょうが。」
「ギクッ!」
「効果音を口に出すなっス。」
ころころと変わる表情。
ため息と、少しおおげさにすくめてみせた肩。
お互いをつつきあう指先。
ジャックは目を細め、なおもやりとりを続ける大人2人を見た。
・・・ふいに、先ほど庭でアッシュがつぶやいた一言が浮かび上がってくる。
まだ、たった一年しか経ってないんスね。
「・・・・・・。」
いちねん、という時間の経過が、自分にはあまりピンと来ない。
この世界に来る前の生活は、あまりに単調で、あまりに単純だった。
時間といえば、24時間後、とか、36時間後、という単位でしか使われなかった。
それでなければ、爆発までの何秒か、あるいは相手の放った弾がこちらに届くまでの、1秒以下の時間。
何月何日だとか、何曜日といったコトは、一切与えられなかった。
「明日」という単語さえ。
「遅かったな。」
ゆるゆると泥の中を泳ぐような思考が、落ち着いたテノールにかき消される。
2階から降りてきたらしいこの城の主・・・ユーリが、ジャックの方に体を向けていた。
どうやら、相変わらずよく分からない会話をしているアッシュとスマイルよりは、
まだジャックの方が、まともに受け答えができそうだと考えたらしい。
「・・・雨を見ていたんだ。」
「雨?」
ぼんやりした様子で紡がれたジャックの言葉に、ユーリは少し首をかしげた。
窓の外に目を向けるが、そこから見える庭の芝生には、柔らかな陽の光が溢れている。
「雨が降ったのか?」
「・・・お天気雨だ、って、アッシュが言ってた。」
「お天気雨・・・?」
ユーリは、また少し首をかしげた。
右手を口元に、その腕に左手をかけて考え込む。
ジャックは戸惑ったが、ユーリはすぐに口を開いた。
「ああ・・・『狐の嫁入り』か。」
「・・・・・・?」
「空に雲がないのに、雨が降ったのだろう?」
こくり、とジャックが頷いたのを確認し、
ユーリは、リビングにある自分用の椅子に腰を下ろした。
「お天気雨・・・か。
今はあれをそう呼ぶのか?」
「・・・よく分からない。今日、はじめて見たから。」
「そうか。」
あまり興味がなさそうにそう言ったきり、ユーリは口をつぐんでしまった。
ここに来たばかりの頃のことは、よく覚えていない。
ただ、必要以上に必死だったような気がする。
違う環境、見たこともない住民。聞いたこともない言葉。
緊張していた。
不安だったのかもしれない。
アッシュやユーリ、スマイルに対する警戒は、本当に激しかった気がする。
「・・・・・・。」
そういえば、あの時。
ふと、ある場面が脳裏に浮かんだ。
椅子に座るユーリ。少し離れて、彼を見つめる自分。
特に珍しい光景でもないのに、なぜその場面が浮かぶのだろう?
答えはすぐに見つかった。
いつもは、手の中の本か、あるいは製作中の楽譜に落とされ、
ときどき、なにを見るともなく、空中をぼんやりと捉えているユーリの紅い瞳が、
真っ直ぐに自分を見つめているのだ。
そう、あの時。
「明日」という言葉さえ知らず、きっとその意味さえ・・・持ち得なかった自分。
48時間という区切り。コンマ数秒の単位。帰ってこなかった仲間の、ぽっかりと空いた部屋の番号。
もしくは、標的建物の中にいると思われる人数。そして自分が奪った、命の値(あたい)。
そんな、たくさんの数と同じ文字で表される、個体識別ナンバー。
ただの数字が、自分と他の物を区別する唯一のもの。
そして、あの世界で・・・自分自身を証明できる、唯一のものだった。
それを。
「ジャック。」
少し呆れたような声音が、空気を震わせた。
「・・・私の顔に、なにかついているのか?」
ジャックの視線に気づいたのだろう。
少し眉をひそめ、ユーリは言った。
ジャックは、あわてて首を振る。
「では、なにか私に話すことがあるのか?」
別に怒っている声ではない。
が、ジャックは困った。
考えごとをしていて、ぼんやりと視線をユーリに向けていただけなので、
特に理由らしい理由はないのだ。
「・・・話す・・・こと・・・。」
目の前の、人離れした美貌と歌声を持つ吸血鬼の唇がつむいだ・・・「JACK」、という音。
その瞬間だけが、鮮明に浮かび上がってくる。
前後にどういう会話がされたのか、覚えていない。
その場には、アッシュとスマイルも居たはずなのに・・・記憶の場面には、自分とユーリしかいない。
『ジャック。』
お世辞にも上機嫌とは言えない顔で、記憶の中のユーリがつぶやく。
世界にはユーリと自分しかいないような・・・記憶のシーン。
それはまるで、神託のように。
「・・・Z-73111。」
アッシュは一瞬、自分の耳を疑った。
名前を尋ねたはずなのに、少年の唇は、よく分からない数字を羅列したのだ。
「え・・・と、もう一度言ってもらえるっスか?」
「Z-73111。」
少年は、全く同じ調子で繰り返す。
アッシュは面食らった。数字が名前だというのだろうか。
「あの、お父さんとお母さんの名前はなんていうんスか?」
「・・・オトウサン・・・?」
頭を軽く振り、質問を変える。
返ってきたのは、わずかに怪訝な表情と、抑揚のない言葉の反芻。
「お・・・お父さんとお母さんが分からないんスか?
言い方の問題っスかね・・・パパとママっスよ。君の事を産んで、育ててくれた人・・・」
嫌な予感が、アッシュの胸に湧き上がる。
が、それをかき消すかのように、アッシュはなおも尋ねた。
少年は少し考え、口を開いた。
「生産工場の名称および所在地、ならびに製作者のナンバーを、関係者以外に話すことはできない。
個体情報・・・タイプΩ-U3556、識別登録IDNo.『Z-73111』。」
暗記したテキストを読み上げるかのように、淡々と言葉をつむぐ少年。
アッシュは息を呑んだ。
ほとんど反射的に、テーブルに座っているユーリとスマイルの方へ顔を向ける。
答えを求めるかのような視線に、スマイルは肩をすくめてみせた。
「そうだねェ・・・キミはロボットなのん?」
少年の、およそ普通とは言えない受け答えにも、スマイルは動じていないようだった。
スマイルの質問に、少年は少し間をあけて答える。
「・・・タイプΩ-U3556は、
遺伝子を設計、改良することで生命活動および生命運動を維持できる個体を目標とし、製造された。
ロボット、およびアンドロイドでは有事における判断に、応用力がない。
一部を除き、体内に機械部品を使わず、
人間と同じように思考、判断ができ、なおかつ身体能力も高い。」
アッシュはもう一度息を呑んだ。
先ほど感じた嫌な予感が・・・形をなして背筋を凍りつかせる。
この子は人間じゃない。
『道具』だ。
それも・・・
「・・・キミの正式名称を、もう一度言ってくれない?肩書きとかも、思いつく限り全部。」
スマイルの言葉の後に、長々と紡がれた言葉を、アッシュはあまり覚えていない。
ぼんやりと・・・感情が全く感じられない少年の声を聞いていた。
長く伸ばした髪の隙間から・・・熱のない、磨き上げた硝子のような瞳を見ていた。
ただ。
「指定された目標の生命活動停止を第一の目的とし・・・」
その一文だけが。
生ぬるい感触を持ち、胸の中に降りてきた。
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