髪を撫でる風が、少し冷たくなってきた。
アッシュとジャックは両手に買い物袋を下げ、ユーリ城へと続く砂利道を歩いていく。
今日は、週に一度の買出しの日だ。
ジャックは転ばないように気をつけながら、前を行くアッシュの背中を追う。
「・・・大丈夫っスか?」
買い物袋を持ち直し、振り返って声をかける。
少しよろめきながらもコクコクと頷いてみせる彼に、アッシュは微笑んだ。
暑い夏が過ぎ、季節は涼やかに変化しようとしている。
Deuilは、今までの疲れを取るため、そしてハロウィンに行うライヴツアーに向けて、少しの休暇を取っていた。
久しぶりにゆっくり過ごすことができて、いつも忙しい顔をしているアッシュにも穏やかな表情を浮かべている。
ジャックはと言えば、この前までは勝手に街へ出てKKの昼の仕事を手伝ったり、
サイバーやリュータが通う学校に、ひょっこり顔を出したりしていたが、
Deuilが休暇に入ってからは、一日中アッシュの後ろについて回っている。
ジャックに合わせ、ゆっくりと歩きながら
久しぶりにのんびり4人で過ごす時間を、アッシュはじんわりとかみ締めていた。
もう少しで城の門が見えてくると思った頃、
ポツリ、と頬に冷たいものを感じ、ジャックは足を止めた。
「・・・・・・?」
空を見上げてみるが、青々と茂る森のこずえに縁取られた空には、ひとかけらの雲も見当たらない。
「どうかしたっスか?」
上を向いたまま、首を傾げているジャックに、前方から声がかけられる。
「・・・雨、なのか?」
「え?」
きょとんとした顔で言う少年の言葉に、アッシュも空を見上げた。
天を仰いだ顔に、ポツリと小さな雨粒があたる。
空、冷たい雨粒、肩に食い込むたくさんの楽しみが詰まったカバン。
アッシュの脳裏は、まるで昨日の出来事のように・・・あの日のことが蘇ってきた。
「・・・ああ・・・これはお天気雨っスよ。」
「お天気雨・・・?」
「雲がないのに降る雨を、そう呼ぶんス。」
アッシュは微笑んで、ジャックと目を合わせた。
「・・・まだ、たった一年しか経ってないんスねぇ・・・」
「・・・・・・は?」
ニコニコしているアッシュとは反対に、ジャックは怪訝な色を浮かべた。
アッシュは荷物を肩にかけ直し、少し後ろにいるジャックに近づく。
不思議そうな顔をしている彼の頭を、大きな手で優しくなでながら、アッシュはあの日に思いをめぐらせた。
「・・・ジャックとはじめて会った日も、こんなふうにお天気雨が降ってたんスよ。」
Shine Shower
天気は上々。
立てた深緑の髪を少し秋の香りがする風に遊ばせながら、歩き慣れた砂利道を進む。
明日からは、待ちに待った3ヶ月の長期オフだ。
もともと気ままな妖怪たちのバンドだから、ユーリは時々こうやって大きい休みを取る。
そんなワガママが通るあたりは、流石天下のDeuilと言ったところだろうか。
口元に浮かぶ笑みを隠すことなく、アッシュはどんどん歩いて行った。
両手に持った大きいバッグには、たくさんの新鮮な食材が詰まっている。
城で休みを過ごす、ユーリとスマイル、そして自分の分だ。
さらに、音楽活動中にはほとんどできなかった調理師免許取得のための勉強用に、少し多めに買ってきてある。
久しぶりに、好きなことを好きなだけできるかと思うと、自然と足取りも軽くなった。
城へは、深い森の中を曲がりくねった小径を、しばらく歩かなくてはいけない。
最初は遠く感じたが、急な坂道があるわけでもないので、今はだいぶ慣れた。
靴の裏の、少しゴツゴツした砂利の感触が心地よい。
自然と口からメロディーが溢れる。
小さく鼻歌を歌いながら、アッシュは微笑んだ。
もうそろそろ、城の東にあるトンガリ帽子をかぶった塔が見えてくるな、と思った時だった。
ポツリと、冷たいものが頬に当たったのだ。
「・・・?」
ふと、足を止めて上を見上げる。
高いこずえに縁取られた空には、雲一つない。
「・・・気のせいっスかね。」
バッグを肩にかけ直し、歩き出そうとしたらまたポツリ。
もう一度空を見上げ、耳を澄ませると、あちこちから水滴が緑の葉に当たってはじける音が、小さく聞こえてくる。
「・・・お天気雨ッスか。」
雲のない空から降ってくる、天の涙。
こういう雨は、少量ですぐ上がる。庭に干してある洗濯物のことは、まず心配ないだろう。
アッシュはしばしの間、明るい午後の光をキラキラと反射しながら降ってくる雨を眺め、
それが奏でる自然の音楽に耳を傾けた。
「・・・・・・!」
もし足を止めていなければ、もし耳を澄ませていなければ、それには気づけなかった。
ガサリと、何かが動いて草木が擦れ合う音と、かすかな、本当にかすかなうめき声。
反射的に、音がした方に顔を向け、全感覚を研ぎ澄ませる。
ほどなくして、アッシュの鋭敏な鼻は異質な匂いを感じ取った。
深緑の森にはあまりにも不釣り合いな、古い油の匂いと・・・それに混じる鉄の香り。
「・・・血の匂いっス!」
ユーリ城のリビングへ続く扉が大きな音を立てて開かれたのは、
それからしばらくしてからのことだった。
リビングにある大画面テレビでギャンブラーZを見ていたスマイルが、驚いて音のした方に顔を向ける。
バタバタと、足音も荒くリビングへ入って来た狼男は、
大きなバッグを2つ、左手でむんずと掴み、空いた右手を後ろ手に背中へまわしていた。
よほどあわてて走って来たのだろう、広い肩は大きく上下している。
「アッスくん・・・キミ・・・」
尋常ではない様子の理由に気づいたスマイルは、紡ぐ言葉に少しの呆れをにじませる。
まだ息の整わない肩からは、重そうなグローブをはめた手が、力無く垂れ下がっていた。
「毛布を早く!」
アッシュがそう叫ぶより早く、スマイルは隣の部屋へ歩を進めた。
手ごろな毛布を持ってくると、アッシュは暖かいお湯にタオルを浸していた。
ソファーに身を横たえている大きな拾いものは、この世界ではあまり見かけない格好をした子供。
「・・・これ、ガスマスク?」
「右足が折れてるっス。他にもあちこちに怪我が…」
少年の額を人差し指でコツコツとつついているスマイルに、温めたタオルを渡す。
「手と足を拭いてあげてほしいっス。」
スマイルの返事を聞かず、アッシュは立ち上がって救急箱を取りに行った。
「・・・しょうがないなァ。」
ソファーの後ろから、寝ている少年の腕を取る。手首に固定されているベルトを緩め、
そっとグローブを外すと、きっちりサポーターが巻かれた手が出てきた。
戻ってきたアッシュが足の怪我に消毒を施すのを横目でみながら、アザや擦り傷だらけの腕をそっと拭いていく。
「・・・どこで拾ってきたの?街?」
「森の中っス。」
「ふゥん・・・」
生返事を返しながら、スマイルは目を細めた。
おかしい。
永劫の時を過ごす吸血鬼、ユーリが統べるこの森は、不思議な力に守られている。
彼が認めた者しか、立ち入ることはできないはずなのに。
両腕を拭き終わり、タオルをたたんで傍らに置くと、スマイルは少年のガスマスクに手を伸ばした。
「え・・・!外し方分かるんスか!?」
「多分ネ。」
ざっと全体を見渡した後、首を少し持ち上げて後頭部を探る。
何かを見つけると、アゴの方にも指をかけて持ち上げた。
パサ、と、白い髪がソファーの柔らかな皮の上に落ちる。
「・・・わォ。超美形。」
意志の強そうな細い眉に、閉じられた瞳を縁取る長い睫。
少し跳ねた銀髪に映える、線が細く整った目鼻立ち。
何より目を引く、額と両方の頬にあるフェイスペイントのような逆三角形の赤が、肌の白さをより鮮明にしていた。
「確かに・・・。将来が楽しみっスね。」
一瞬ではあるが、少年の美貌に眼を奪われてしまったアッシュも、スマイルに同意する。
「でも・・・この赤いフェイスペイントは・・・。」
「ソレ、多分フェイスペイントじゃないヨ。」
「・・・え?」
スマイルの言葉に、アッシュは少し考えた後、
大きな手で、少年の頬にそっと触れた。
「・・・・・・っ!!」
「刺青、に近いかナ。」
「・・・な、んで・・・こんなに小さな子が・・・」
「なにをドタバタと騒いでいる。」
アッシュの言葉が終わるか終わらないうちに、凛とした声がリビングに響く。
2人が顔を上げると、ドアの前に、この城の城主が腕を組んで立っていた。
ユーリはため息をつき、きょとんとこちらを見ている同居人の顔を交互に見る。
「なにかあったのか?」
ソファーはユーリに背を向けて置いてあり、ジャックの姿は見えない。
「それがさァユーリ!アッスくんがまた拾い物してきちゃったのよぅ。」
「あーいやその!えっと・・・」
大げさに肩をすくめてみせるスマイルに、オドオドと言葉を捜すアッシュ。
ユーリはまたため息をついた。
アッシュは今までにも、捨てられた犬や猫、傷ついた小鳥などを連れてきては、
結果的に・・・城の中を汚してしまったことが、何度かあった。
「またか・・・今度は犬か?猫か?」
「えと、その・・・」
つかつかと近づいてくるユーリに、アッシュは耳をへろんと垂らしてモゴモゴと口ごもる。
いいわけを考えるが上手く言葉が見つからない。
そうこうしているうちに、ユーリはソファーの前まで来て、向こう側を覗き込む。
アッシュは一歩、後ろへ下がった。
顔は見えなくても、
彼が美しい顔を思いっきり歪ませ・・・ピクピクと頬が引きつっているのが手に取るように分かる。
スマイルは相変わらずニコニコと笑顔を浮かべ、硬直しているユーリの肩にポンと手を置いて言った。
「今度はニ・ン・ゲ・ンvv」
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