画面の向こうの大人たちはやたらと昔のことを言うけれど
 今のこの世界のこと私はそんなに嫌いじゃない。


















集会所の管理人さんたちは、週に2日、休みを取る。
元役所だったらしい建物の屋上で開かれる市場には、今日もたくさん人が来ていて賑わっている。
そんな様子を横目で見ながら、 は倒れて横になったビルの坂道を歩いていた。

この街に地面はない。
いや、世界を見回してみても、地面が水の上に顔を出している場所は少ないだろう。
かつてこの星の3割を占めていた陸は、今や1割にも満たない面積になってしまっているらしい。
正確なことは分からない。
人も、たくさん死んだらしい。

が住んでいるこの場所は、世界でも特に地震が多い島だったらしく、
陸があった昔に建てられた建物は、ほとんど倒壊してしまっている。
その建物を地面代わりにして、新しく家を建てた人も居るし、
昔の建物の水の外に出ている部分を、上手くリフォームして住んでる人も居る。

食べ物は、基本は魚や海草。
でも、斜めになってない建物の屋上は、土を運んで畑になっていることが多いし、
鶏を飼っている家だって少なくない。



たしかに、わたしたちは今ここで生きている。



少し高いところから、市場や人がたくさん住んでいるあたりを見ると
は決まって、心の中でそうつぶやいた。




























たまに、こんな日がある。

託児所、学校と役所、警察を合わせたような集会所も、今日はお休み。
明日明後日の食料に困っているわけでもなければ、友達に誘われているわけでもなく、
住んでいる部屋の掃除と片付けは、昨日の夜に終わらせてしまった。
極めつけは、朝起きて最初に見た空が、とってもイイ感じに晴れわたっていたこと。
今日はそんな日だった。

鉄骨が剥き出しのままの高い塔。登れるところまで登ってため息をつく。
昔は電波を送受信するための場所だったらしいが、
今は倒れた周りの建物たちを見下ろしているガイコツのような、そんな建物。

ここに来るのは3週間ぶりで、2度目だった。
は決めておいた場所・・・柵も何もなく、少し身を乗り出せば、遥か足下に水面と錆びた鉄骨が見えて。
少しづつ目線を移動していけば、左に大きな丸い屋根の集会場が顔を出す。
その先にも点々と、人が住んでいるだろう瓦礫の群れが続いてて、
さらにその先には・・・水平線と空。
は、床がゴッソリ落ちている部分から1メートルほど後ろに転がっている鉄骨に腰掛け、
そこから見える景色をぼんやりと眺めた。

1ヶ月前、ここに誰かが立っているのを見たのだ。

・・・正確に言えば、今座っている場所ではなくて、少し左の方にある・・・真っ直ぐ腕を伸ばした、細い鉄骨の上に。
どうしても気になって、その誰かを見てから1週間後、 は鉄塔に登った。
誰かが住んでるのかと思ったが、鉄塔はまさに吹きさらしの状態で。
錆びた鉄骨の根元を見れば、住むどころか、いつボキッ!と折れても不思議じゃない、と、 自身が思ったほどだった。
次の日、集会所の地図で確かめてみたら、やはり『立ち入り禁止建造物』の赤いマークがしっかりついていて、
・・・ひょっとしたらこの街の人じゃないのかも、と、 は思った。

記憶の中で、誰かが立っていた鉄骨は、最初に登った時と変わらずそこにある。
人間の重さを支えられるような物ではないのは、触って確かめなくても分かる、というコトも、変わらないまま。



「・・・やっぱ、見間違いだったんだろうか・・・」



ため息と共に出たひとり言も、自分以外の人の耳に入るはずもなくて。

しばらく、風に吹かれる細い鉄骨の先端を眺めていたが、
それにも飽きると、 は持ってきたカバンに手を伸ばした。
中には、弁当代わりの小さいパンが2切と、リンゴが一つ。
もう少しあとで食べようと思い、それらを手でよけて、もう一つの中身を取り出す。
スケッチブックだ。


「・・・よし・・・。」


スケッチブックを膝の上に置いて、左手でパラパラと紙をめくり、右手で鉛筆を握る。
真っ白な画面を手の平でザッと撫でてから、 は目の前の景色をにらみつけた。










































・・・どのくらい時間がたっただろう。
ふと、鉛筆を動かす手を止め、 は周りを見回した。

仮に、もしここに人が居たんだとしたら・・・こんな吹きさらしの場所で、何をしていたんだろう。

真っ先に「飛び降り自殺」とかいう単語が浮かんでしまうのは、ここが周りで一番高い場所だからだろうか。
でも、もしそうだとしたら、下にある鉄骨に引っかかってないわけがない。
3週間前もそれを思い、恐る恐る見えるところは全部見たが、そんなものはなかった。


(・・・まぁ、立ち入り禁止とは言えど、特に綱が張ってあるわけでもなかったし・・・
 わたしもこうやって登れてるし・・・誰かが気まぐれで登ったって、全然おかしくないよね。)


こんなにいい景色が見られるところも少ない。
もう一つ、「幽霊」という単語が頭を掠めていたが、それだと冗談抜きで怖いので考えないようにする。


「さて・・・ちょっと休憩しよっと。」


時計を見ると、もう2時だ。
スケッチブックを閉じる前に、持ち上げて実際の景色と見比べる。
・・・細かいところは、後半戦で頑張ろう。
そう思いつつ、ずっと腰掛けていた鉄骨から腰を持ち上げた、その時。




「おいコラ。」

「ッ!!!?」




いきなり声をかけられ、 は飛び上がって驚いた。
あわてて振り向くが、その拍子に、遠心力で持っていたスケッチブックが宙を舞う。


「ッわ!!!」


声をかけてきた「誰か」をしっかり確認する間もなく、視界は抜けた床に飛び込もうとしているスケッチブックを捉えた。
反射的に手を伸ばす。
ボール紙の角に指先が当たった。
バランスが取れてないまま、さらにもう一歩足を踏み出した下に――― 床は、ない。

それに気がついたときには、もう遅かった。
世界は を中心にぐるりと回り、 の体には抵抗する空気の塊が容赦なく襲い掛かる。


「ッひゃァアああぁぁ!!!!!!!!」


悲鳴を上げることができたのは、一歩遅れてだった。
見えたのは錆びた鉄骨の赤、空か水面の青。
そして、翻る黄色っぽい何か。

「ッ!!!?」

腰から腹にかけて、その黄色っぽいなにかから伸びたものが巻きついてくる。
・・・それが人の腕だというのが分かったのも、一瞬遅れてから。
これまた反射的に首を動かして、その腕の主を見る。

向こうも、こちらを見ていた。
真っ黒な眼球。
いつか見た映画に出てきた機械のセンサーのような、赤い瞳・・・。


「ッギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」
「・・・るっせぇ・・・」


落ちたときよりもよっぽど大きな悲鳴を上げる に、不思議な眼の持ち主は顔をしかめたが、
当の本人はそれどころではない。

「おおおおおお化けッ!!!!幽霊ッ!!!!!!!!」
 た、た、祟らないでー!!わわわわ私、ただの出来心であそこに居ただけなんですよー!!!!!!!」
「暴れるなバカ!!死にてェのか!!!!」
「ひぇッ!!!!」

の体を、男はグィッ!と引っ張るようにして自分の体にひきつける。
瞬間、 の鼻先を、折れて鋭く尖った鉄骨がかすめていった。

「動くなよ」

不機嫌そうな男の声に言われるまでもなく、
はすっかり度肝を抜かれ、無意識に掴んだ男の服をさらに強く握り締める。





その時。





ふわ、と、今まで体全体にかかっていた力が緩んで、周りの景色が流れるスピードが落ちた。
男は下へ向かって足を伸ばし、水平に近かった体制を垂直にする。
そこで初めて、 は、彼が自分を小脇に抱えるようにして持っているということに気づいた。
同時に、自分たちの状況も分かってくる。


「う・・・浮いてる・・・!?」


もう少し上の部分の服を掴みなおし、つぶやく。
まるで海に飛び込んだ時のように、やわらかく重力に逆らって・・・
2人はゆっくりと、あちこちから折れた鉄骨が突き出ている中を「降りて」いるのだ。
まるで夢でも見てるような感覚に、 は呆然と周りを見回した。
右。鉄骨の間から、海面とその向こうの水平線が見える。
下に広がる視界。普通に落ちたら、あの無造作に水面から突き出ているうちの一本に串刺しになることは確実。
そして・・・自分を抱えている人の足も見える。
赤い布が巻きつけてあるけど、裸足だ。
裾がボロボロになったズボンと、風にバタバタと翻る薄手のコート。
もう片方の手に持っているのは・・・


「・・・っそれ!!わたしのスケッチブック!!」


拾ってくれたの!?と、顔を見上げようとしたとき。
男はいい具合に倒れている鉄骨の腹に降り立ち、くっと腰を落とすと、
ほとんど下半身の力だけで、その鉄骨を蹴った。


「わッ!!!」


下の方に感じていた力が、逆転する。男は、特に何の力も入れていない様子で、
ぽーん!と、ゴムボールが地面に当たって跳ね返るように、今落ちてきたところを飛び上がった。
落ちるよりも、昇る時間の方がずっと早くて。
トン、と男の足が床に付くと同時に、 は体を包んでいた浮遊感が、煙のように消えていくのを感じた。
ベンチがわりに座っていた鉄骨をまたいでから、男は を床に降ろし、スケッチブックを差し出す。


「あ・・・ありがとう・・・ございました・・・。」


おずおずとスケッチブックを受け取り、 はあらためて男を見た。
身長は低くもなければ、とびきり高くもない。
ワックスでガチガチに固めたような赤茶色の髪はかき上げられ、後ろは高い位置で結ってある。
黒くてゴツいヘッドフォンが、その髪の色によく似合っていた。
顔、眉間に刻まれている分を除けば、特にシワは見当たらないから・・・きっと若いだろう。

でも、一番気になるのは、やはり眼。

まぶたと言うよりは、顔のその部分をナイフで裂いたような。
眼球があることは分かるのだが、ともすると闇の中・・・その部分に穴でも開いているようにも見える眼。
その中で、鈍く光を放っているようにも見える赤い瞳が、不機嫌そうに を捉えている。


「・・・ここは立ち入り禁止だろ。」


アゴで周りを示しながら、男は言った。


「さっきみたいなコトになりたくなかったら、さっさと帰れ。」
「や、だって、それはあなたが後ろからイキナリ声かけたから・・・」
「あァ?」


ボソボソ、と言い訳じみたことを言うと、男はますます顔をしかめる。


「大体、あなたこそ・・・なんで立ち入り禁止のここに居るわけ?見回りの人なの?」
「はぁ?違ぇし。」
「じゃあ、なんで居るの?」
「・・・なんでお前にそんなこと教えなくちゃいけないんだよ。」


目に見えて男の機嫌が悪くなっていくのが、 にも分かった。
でも、ここで引き下がってはいられない。
スケッチブックの絵は未完成なのだ。


「だって私、まだ帰りたくない。」
「・・・・・・。」


がここで絵を描いていたことは、男も分かっている。
実際、男の方も特に、これといってこの場になにか用があるわけでもなくて。


「ここ、あなたの土地だとか、そういうのじゃないんでしょ?」
「・・・・・・。」


俺が最初に見つけたんだから、俺のもの・・・なんて言うほど、ガキじゃない。
ぐいぐい引き下がる に、男の気分もイラつきからめんどくさい、という思考に寄っていく。







「・・・落ちても、今度は助けないからな。」






プイ、と、不貞腐れたような顔でそう言う男の様子に、 はホッと胸をなで下ろした。
実際、怒らせたら殴られるかも・・・とハラハラしていたのだ。
男は に背を向け、鉄塔の上の方を見上げると、
また軽く床を蹴り・・・さらに上の方へ跳んでいってしまった。

午前中と同じ場所に腰掛け、遅い昼食を食べた後。
絵の続きを描きながら、 は、1ヶ月前、ここで見た人影は彼だということを確信していた。

彼は多分、普通の人じゃない。

まだこの世界の3割が陸地だった頃、あちこちで戦争が行われていたらしい。
そのために、たくさんのお金が使われて、
たくさんの武器が造られて、
たくさんの人が死んだらしい。

武器はいろんな生き物に遺伝子的なダメージを与えて、人間もその例外ではなくて。
突然、異常気象が全世界で大規模に発生して、海が陸地を飲み込むことで終結した戦争の後、
体に異常を持って産まれてきた子がたくさん居たんだ、と、
友達のお兄さんが辛そうに言っていたのを思い出した。


彼も、多分。




























日が傾き、吹き抜けていく風が冷えてきた。
は荷物をまとめて、結局降りてこなかった彼が、今も居るであろう鉄塔の上の方を見上げる。
最先端より少し下の鉄骨から、投げ出された彼の足と、風に遊ぶトレンチコートの裾が見えた。
少し考えたが、やはり帰る前に一言声をかけていこうと思い、息を吸い込む。



「あのー!!!!」



手をメガホン代わりにして声をかけると、彼の頭が動いたのがかすかに見えた。


「今日はー!助けてくれてー!!ありがとうございましたー!!!」


一文一文、呼びかける。
少し待ったが、降りてくる気はないらしい。


「わたしー!もう帰るんでー!!」


こっちからの声が届いているのかいないのか、彼は全然反応を返さない。

昔は、もっと上まで階段があったのかもしれないが、
ボロボロに錆びてしまっている鉄塔に が上がっていけるのは、今立っている場所までだった。
命を助けてもらったというのに、少ししか言葉を交わせなかった彼が座っている場所からは、一体どんな景色が見えるんだろう。

結局、彼は一言も発さず、 もそれ以上は言わないで、鉄塔を後にした。







がその不思議な眼の持ち主の名を知ることになるのは、もう少し先の話。


































































あああ・・・結局名前知らないまま終わってしまった・・・。
あらためて、自分の文章力の無さを痛感・・・。
友達のお兄さんってのはセムです(笑)
ムビキャラとDJキャラが同じフィールドにいるってのは、まぁこのサイトでは基本だということで・・・

よ・・・よかったらご意見、感想など・・・お待ちしてまーす・・・!!(電信柱の影から)


続き書いてしまった・・・。
2ヵ月後。